 |

アラバル
|

特徴のある窓が目を惹く
|

通りと門
|

教会と月
|

ユダヤ通り
|

セマナ・サンタ
|
|
影が街を彩ることもある。古代ローマの時代より幾度もイベリア半島の主要舞台となり、輝かしい光を浴びてきた街トレドはそれを充分堪能できる街だ。
12、3世紀頃のトレドは、アラビア学術をヨーロッパに知らしめる拠点であった。レパントの海戦でオスマントルコを破ったフェリペ二世も、その父カルロス五世もトレドの王宮『アルカサル』にいた。クレタ島出身の画家エル・グレコは、トレド抜きには語ることなどできない。そんな歴史を頭の片隅に入れ街を散策すると、凋落という言葉の似合いそうなこの街の影が、たちまち表情を露(あらわ)にすることに気付くだろう。「スペインに一日しか滞在できないのなら、迷わずトレドへ行け」という諺がある。それに準じて「トレドに来たなら、影を楽しめ!」を鉄則にしたい。
化粧の剥がれ落ちた壁も、いぶし銀のように光る重厚な木製の門扉も、時間帯によって強度も色も異なる光に射られて、深い影をたずさえる。電線、バルコニー、植木鉢、瓦の波形も影となり、あたかも乱舞するかのように古い石の街を黒く彩る。
陽が落ちると今度は、淡い街灯が醸し出す光と闇を堪能する時となる。象牙色の建物が琥珀色の塊に豹変し、昼間は隠れていた地肌が現れ、街は別の顔を見せはじめる。
月が明るく、透明な群青色の空が高く見える晩は特に美しい。
3月下旬から4月上旬にかけての「聖週間(セマナ・サンタ)」は、幻想的な光の空間に酔いしれる絶好の機会だ。春の彼岸を過ぎて最初の満月の後にやってくる最初の日曜日が、磔にされたキリストの復活を祝う復活祭になるが、その前の一週間、夜の祭りが繰り広げられるのだ。キリスト像を高く掲げた神輿や山車が、目だけをくりぬいた頭巾で全身を覆った信者達によって教会の中から担ぎ出され、細い石畳を練り歩いて行く。カンテラを提げた同じ装束の行列が、無言で後ろを付いてゆく……。
キリストの神輿の出る教会の前には、真夜中に近づくにつれ人々が集まり始める。やがて大きな人の輪ができ、ざわめきが広場を包む。しばらくすると、ざわめきは咳払いに変わり、水を打ったように静かになる。
ギギギィっとおもむろに開く教会の扉の音。神輿を持ち上げる際の木の摺れる音。担ぎ手の足音。先頭が掌から提げた鉦(かね)が鳴り、厳かな行進が淡々と始まる。行列に付いて行きたい人は付いて行けばいい。他の辻に渡り、別の神輿を待つのもいい。淡い琥珀色の光の中で、中世に思いを馳せると、人間の残酷さも宗教の狂気も、妖しい美に吸い込まれてしまうような錯覚に落ちるだろう。
遅く起きた翌朝は、春先のすでに強烈な太陽を浴びながら、古い石畳を散策するのもいい。幻想的な真夜中の宗教儀式が記憶の中で陰影となり、光が晒すくたびれた街とそれにぴたりと寄り添う不思議な形の影たちを、浮かびあがらせているだろう。
影が深いほど、ものの姿は美しい。トレドはそれを教えてくれる。
|
|