
コリントス湾越しにギリシャ本土を見る
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古代コリントスの町並み
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巨石で作った 城壁に囲まれている古代ミケーネ
「獅子の門」がその入り口
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古代オリンピアの競技場
かつてはこの地で4年に一度、肉体美が競われた
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中世の都市ミストラに残るイコン
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ミストラは山肌に作られた都市
上へ登るとスパルタの街が見える
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アテネから電車で約2時間。ペロポネソス半島を東から西に抜ける形で旅をした私にとり、半島の玄関は寂れた田舎町のコリントスだった。今日においても新約聖書にある「コリント人への手紙」で世界中に知られ、紀元前には交通と交易の要衝である商業都市として繁栄。当時は世界経済の中心地であった。
街の近くにはギリシャ本土とペロポネソス半島をつなぐコリントス地峡があり、ここに運河を建設する計画は当地が栄華に輝いていた紀元前の時代からあった。 だが技術的な問題もあり、運河完成は貧困などによりペロポネソス半島から人口流出が既に始まっていた1893年。ペロポネソス運河を使用すれば
約400キロの距離の節約になるのだが、幅が21メートルと狭く、世界経済の発展のために計画された運河も、今日では主に観光用だ。その観光も戦後に続いた内戦の影響で、ペロポネソス半島が旅行者に解禁されたのは1981
年。わずか四半世紀前のことだ。
我々観光客が目にすべく先人たちの偉功は、ペロポネソス半島に数多く残っている。地中海交易による繁栄の印はコリントスには、「ペイレーネの泉」(貯水場)やローマ時代のアゴラ(広場)の他、アポロン神殿の石柱もまだ7本残っている。遺跡の南西にそびえ立つアクロコリントス山に登れば、ビザンチン時代の城塞から、当時の兵士が眺めていただろう景色を堪能することも可能だ。
独立当時の首都であったナフプリオンの近くにはミケーネ遺跡とエピダウロス劇場がある。巨石を用いた城壁や「獅子の門」で知られるであるミケーネ遺跡は、19世紀後半ドイツのシュリーマンが神話の世界が歴史的事実であることを裏付けたエピソードも残る遺跡。また、紀元前4世紀に作られた1万4千人を収容するエピダウロス劇場は、今でも夏になるとフェスティバルに使われており、当時は医療の聖域でもあった。
その他にも、市民を兵としてスパルタ教育したことで知られるスパルタ、ゼウスに捧げられる祭典「古代オリンピック」の開催地であったオリンピアなど。ミストラに至っては近代まで都市機能が残されていた。
これらの先人たちによる偉功は遺跡という霞でしか残っていないが、半島内に残る文明の証が全て滅びたわけではない。ナフプリオンやモネンヴァシアでは、中世の街並みが現在でも市民の生活に使われ続けている。特にスラブ人の侵略から逃れたミストラ市民が造ったモネンヴァシアでは、街の入口に石門があり、現在でも車という文明の機器の侵攻を拒否している。街に足を踏み入れれば、そこの風景は中世そのものだ。 |
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